日蓮大聖人御遺文「三澤抄」「三澤御房御返事」のお寺
お寺の紹介
【宗旨】日蓮宗 総本山は身延山久遠寺(みのぶさん くおんじ)
【本尊】お釈迦さま(主・師・親の三德をそなえた久遠実成の本師 釈迦牟尼仏)をはじめ、諸天善神を勧請した大曼荼羅御本尊。一塔両尊四士
【開創】鎌倉時代 正安2(1300)年と德治3(1308)年の両説あり
【開山】六老僧 大国阿闍梨 日朗上人(日蓮大聖人の六大弟子の一人)
【開基】三澤殿(みさわどの=三澤入道とも呼ばれた三澤小次郎昌弘)
鎌倉幕府初代将軍 源頼朝の御家人で『吾妻鏡』にも名前が見られる当地の地頭職だった三澤小次郎の孫。日蓮大聖人から『三澤抄』『三澤御房御返事』などのお手紙いただき深く感銘をうけ館を寺にする。これが三澤寺の始まりです。
この歌は日蓮宗の宗祖、日蓮大聖人が詠まれたもので、三澤寺開基上人三澤殿(みさわどの)にあてられた手紙に書き添えられていました。『三澤御房御返事』とよばれるその手紙の末尾に「越後(えちご)にて此歌詠じ候ゆへ書き送り候」と書き添えられていました。
「雨というものは本来まっすぐ降るものであるが、風が雨を斜めに降らせて夜の窓を打たせているのです」と詠(よ)まれた歌です。
補足すると、人間は誰もが仏の種を持っていて、その仏の種を「雨」に喩(たと)えられています。
そして、人の心を揺らすもの、惑わすものを「風」に喩えていらっしゃいます。
つまり、人間は誰でも、一人一人に生まれながらにして仏の種をもっている善人であり、その種を「南無妙法蓮華経」のお題目で大切に育てることによって、人間として最高の境地、成仏する(仏さまのような心持ちにいたる)ことができることを示された歌です。
紀州徳川(松平)家寄進の石垣。武者返し、忍者返しとも呼ばれるソリのついた石垣で松竹梅と鶴亀の隠し絵が描かれる。毎年9月上旬から中旬にかけては、萩(はぎ)の花が見頃をむかえ「萩の寺」としても知られる。
本堂東側の石段を登ると、裏山には七面山(しちめんさん)のお堂がある。
紀州徳川家ちゃちゃ姫(芳心院)の嫡男、松平綱清公の寄進。明治初期の廃仏毀釈運動で解体されるも、後に再建。当時の七面山堂は近隣寺院の本堂として現存する。